名古屋簡易裁判所 昭和40年(ろ)151号 判決 1965年6月09日
被告人 嶋田竜兵
昭五・一一・一二生 会社員
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、
被告人は夜間である昭和四十年二月八日午後十一時五十五分ころ、名古屋市東区赤塚町一丁目一番地附近道路において、法令の定める番号燈がついていることを確認して運転すべき義務を怠り、法令の定める番号燈がついていないことに気づかないで軽四輪乗用自動車を運転したものである。
というにあるが、
被告人の当公判廷における供述、並に司法巡査作成に係る道路交通法違反現認報告書の記載、被告人の供述書の記載、証人住田勝宏の当公判廷における供述を綜合すれば被告人が夜間である昭和四十年二月八日午後十一時五十五分ころ、名古屋市東区赤塚町一丁目一番地附近道路において、法令の定める番号燈がついていないことに気づかないで、軽四輪乗用自動車を運転したものであることは認めることができる。
そこで、被告人が右のように、番号燈のついていないことに気づかないで、自動車を運転したことが、その過失によるものということができるかどうかについて判断するに、自動車運転者は、夜間自動車を操縦して道路を通行する場合においては、法令の定める番号燈その他の燈火をつけるべき法律上の義務があるから、番号燈がついていることを確認して運転すべき注意義務のあることは当然であるが、番号燈のごとき自動車の後面に備えられる燈火については、発車の際に右確認をなすべきであり運転進行中は特段の事情のないかぎり、間断なく右燈火がついていることを確認するまでの注意義務はない。けだしこれらの燈火がついているかどうかを走行中運転者席から確認することは不可能であり、これを確認するには、運転を停止して下車する外なく、間断なく右確認を要するものとすれば遂に運転を中止する外ないこととなるからである。従つて自動車運転者としては、発車の際に番号燈がついていることを確認しさえすれば、いつたん発車した後は特に長時間に亘つて連続運転する場合、甚しい悪路を運転する場合、運転中車体に相当な衝撃を加えられた場合などのように、特段の事情があつて、番号燈が消える危険がある場合を除き、通常は運転進行中の自動車から随時下車してまで、いちいち番号燈がついていることを確認しなければならないものではないのである。
これを本件についてみるに、被告人の当公判廷における供述、並に前掲の証拠によれば被告人は当日夕刻住所地である愛知県春日井市大留町三百二十五番地から名古屋市中村区豊臣小学校の近くに住む妹のアパートまで軽四輪乗用自動車を運転し、更に同日午後十一時半頃に右妹のアパートを発車して中区東新町の不動産屋まで運転し、更に同所を発車して同日午後十一時五十五分ころ名古屋市東区赤塚町一丁目一番地附近道路を進行中、折柄警ら中の東警察署の警察官により番号燈がついていないことを現認されて検挙されたものであること、右検挙の際番号燈のスイツチは入つていたこと、検挙の翌日修理屋で番号燈の電球を取り替えて貰つたところ異常なく点燈したこと、及び被告人が前記不動産屋から発車する際番号燈のスイツチを入れて点燈の操作はしたが、本件自動車の後面にある番号燈がついていることを確認しなかつたことをそれぞれ認めることができる。被告人は自宅並に前記妹のアパート前を発車する際にそれぞれ番号燈がついていることを確認した旨当公判廷において供述しているが、警察官住田勝宏の検察事務官に対する供述書の記載並に同警察官作成に係る道路交通法違反現認報告書中「特記すべき証拠並に情状欄」に車に乗る時に車を点検せず約八キロメートルの間運行した旨の記載及同警察官の当公判廷における供述に照らしにわかに措信することができない。
してみると、被告人には発車の際に番号燈がついていることを確認すべき注意義務を怠つた過失があることは明白であるが、右過失と被告人が番号燈のついていないことに気づかないで、本件自動車を運転した行為との間に因果関係が存在するかどうかの点については、更に検討を要するものというべきである。
即ち右発車の際、既に、番号燈が切れていたか、少くとも切れる寸前の状態にあることが外部から容易に識別し得る状況にあつたものとすれば右因果関係を肯認できるが、発車の際には何等異常なく、したがつて、被告人の点燈確認義務違背にもかかわらず点燈していたものが、その後運転中に、何等かの原因で切れるに至つたものとすれば、右因果関係を否認する外ないのである。けだし、この場合においては、仮に被告人が発車の際に前示注意義務を怠ることなく、番号燈がついていることを確認して運転を開始したとしても、番号燈のついていないことに気づかないで運転することになるからである。
本件において、被告人が自宅並に前記妹の住むアパート前を発進する際に番号燈がついていることを確認した旨の供述を採るを得ないことは、すでに説示したとおりであるが、右番号燈が発進前すでに切れていたものか、発進後進行中に切れたものか、発進の際には、切れる寸前の状態にあつたものか、そもそもいかなる原因で切れるに至つたものかなどの点については、本件各証拠を精査しても、遂にこれを確認することはできない。従つて本件番号燈は発進の際には異常なくついていたものが、運転進行中何等かの原因で切れたという蓋然性が全くないとはいえないのである。結局被告人が発進の際に番号燈がついていることを確認することを怠つた過失と運転中右番号燈がついていないことに気づかないで、本件自動車を運転したという違反行為との間には果して因果関係があるかどうか不明であるという外ないから、被告人の本件違反行為について、右発進の際における被告人の過失を問題とすることはできないものといわなければならない。
そこで更に発車後運転中の被告人の過失の有無について考えてみるに、被告人は前記のように、自宅から国道十九号線に出るまで約三百メートル位と、中村区の妹の住むアパート近くが道路工事中で約二百メートル位が未舗装道路で、国道十九号線及名古屋市内の道路は舗装された道路を運転進行したに過ぎないから道路の条件運転時間等よりしてその間番号燈がついていることを確認する措置を採らなかつたとしても被告人に過失があるものとすることはできないこと明らかである。
結局被告人が本件番号燈のついていないことに気づかないで自動車を運転した行為が被告人の過失によるものであることを確認するに足る証拠はないから刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をすべきものとして主文のとおり判決する。
(裁判官 桃井英夫)